和蝋燭は灯り続けるか——。
京都・京北地域ではじまった櫨蝋づくりの取り組み [1]

和蝋燭の原材料となる櫨蝋(ハゼロウ)の生産が危機に瀕している。2015年に京都市右京区の京北地域が新たな櫨蝋産地として産声を上げた。「伝統産業の材料枯渇」と「過疎地域の産業振興」。ふたつの課題を背負ったこのプロジェクトは、手仕事の未来を示すモデルとなるか。

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和蝋燭は灯り続けるか——。 京都・京北地域ではじまった櫨蝋づくりの取り組み [1]

和蝋燭の原材料となる櫨蝋(ハゼロウ)の生産が危機に瀕している。ウルシ科の落葉樹である櫨の実からとれる木蝋は古くから燃料として重宝され、日本の灯りを支え続けてきた。しかし、生活必需品ではなくなった和蝋燭よりも、さらに速いスピードでその原材料が姿を消そうとしている。
福岡、熊本、愛媛、和歌山などかつての櫨蝋産地が生産量を落とすなか、2016年に京都市右京区の京北地域が新たな櫨蝋産地として産声を上げた。「伝統産業の材料枯渇」と「過疎地域の産業振興」。ふたつの課題を背負ったこのプロジェクトは、手仕事の未来を示すモデルとなるか。

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森のなかの櫨

「おっ、ここもシカが荒らしとるな」
「これはウサギちゃいますかね」

京都市京北地域の山中、京都市産業観光局農林振興室 京北農林業振興センター所長の三嶋陽治さんと井上智喜さんが試験的に植えた櫨を巡回し、獣害と生育状況をチェックしている。約2メートル四方の柵に囲われた櫨は1年間でようやく40センチほどの高さに成長した。

櫨の育成には温暖な土地が適しているといわれ、植栽した当初は一日の寒暖差が大きな京北地域で無事に成長するかすら疑問視されていた。土壌や日当たり、雪害など不安の種が尽きない三嶋さんたちの心配をよそに森の獣は樹皮を食べ、虫たちは葉をかじる。少し育っては傷付き、癒やしては枝が折られるという一進一退の1年だった。

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「京北で櫨の育成をした記録は残っておらず、すべてが初体験。なんとか冬を越すことができたのでまずはひと安心です。櫨はおよそ3年で実を付けますので、なんとかこのまま順調に育ってくれることを祈るのみです」(三嶋さん)

京北農林業振興センターでは、和歌山県産の品種「ブドウハゼ」を中心に生育をおこなっている。2016年春に1,000粒以上の種子を蒔くとともに、200本の接ぎ木を実施。2017年にはさらに実生苗、継ぎ木苗の確保を進めている。シカが壊した柵を直し、葉に付いた虫を払う地道な作業が続く。杉に囲まれた森で櫨の成長を見守る三嶋さんと井上さんは、「櫨はウルシ科なので作業中にかぶれてしまうのが困ったところ」と声を揃えて笑う。

京北地域各所で栽培する櫨を見回る京都市京北農林業振興センターの三嶋さん(右)と井上さん(左)

京北地域各所で栽培する櫨を見回る京都市京北農林業振興センターの三嶋さん(右)と井上さん(左)


京北を和蝋燭の町に

京北で櫨蝋の生産を目指す「京都 “悠久の灯(あかり)” プロジェクト」では、和蝋燭製造業を営む中村ローソク(京都市伏見区)と京都の伝統産業を思う有志の3者が中心となって組織された「JAPAN WAX KYOTO 悠久(株)」が事業主体となり、京都市と連携して櫨の植栽が進められている。

櫨の育成は京都市京北農林業振興センターが地元農家の有志と共同で試験的におこない、収益性が見込めるようになれば順次、新規就農者へ引き継ぐ予定だ。また、府下唯一の林業専門学科を持つ京都府立北桑田高校も計画に参加し、授業の一環として櫨の育成に携わる。

同プロジェクトの特色は、櫨の栽培だけではなく製蝋工程までを京北で一貫しておこなうことを視野に入れている点だ。JAPAN WAX KYOTO(株)の発起人のひとりである(有)中村ローソク代表の田川広一さんは、「将来的に京北地域が蝋燭産業を皮切りに伝統工芸品の原材料生産の町にできれば」とその概要を説明する。
「和歌山県で”最後の1軒”となった製蝋業者の協力を得て、その設備やノウハウを京北に移転して櫨蝋づくりを確立するつもりです。いずれは和蝋燭製造の拠点も設けたいと考えており、京北が和蝋燭の一貫生産地として発展することが目標です。これまでの和蝋燭づくりは、材料(櫨蝋)産地と加工産地が分離していましたが、それをひとつにまとめることでふたたび産業として復興を目指したいと考えています」

和歌山の製蝋事業者には後継者がなく、同プロジェクトは地域をまたいだ異例の技術継承となる。現在、(地独)京都市産業技術研究所や圧搾機器メーカーの協力を得て櫨の実から蝋を絞るための圧搾機を開発中。和歌山で培われてきた伝統的な製法を下地に、先端技術でより効率化する試みが続けられている。
櫨の栽培だけではなく、製蝋工房までも誕生すれば、地域のあり方は大きく変わる。新たな産業は雇用を生み、高齢化が進む京北にとっては人口減少を食い止める大きな一手となるかもしれない。

「”伝統産業の材料を支える”といえば聞こえは良いが、地元の人たちにとっては大義よりも生活。京北地域で盛んな林業・農業に次ぐ新しい産業のひとつとして受け入れられるようになり、私たち和蝋燭職人も安心して仕事を続けられる環境をつくることがこのプロジェクトの最終目標です」(田川さん)

風前の灯火

江戸時代、櫨の育成と製蝋は諸藩の財政を支える貴重な収入源だった。1500年代に東アジア原産の琉球櫨(リュウキュウハゼ)が伝えられると、西日本各地で殖産興業として櫨の植栽が推進された。櫨は稲の収穫後に実を付けるため農閑期の仕事にも適しており、赤く紅葉する風景は晩夏の風物詩でもあった。

より高い品質の蝋を採るために品種改良も盛んにおこなわれた。「松山櫨」「伊吉櫨」(ともに福岡県原産)、「昭和福櫨」(長崎県)、「葡萄櫨」(和歌山県)など数十種類の品種が接ぎ木栽培によって生み出され、各地域の気候風土に適した特色ある櫨蝋が多く世に送り出された。

明治3年に刊行された『農家備要』(河野剛 著)。櫨の接ぎ木方法について詳しく解説されている。[国立国会図書館デジタルコレクション]

明治3年に刊行された『農家備要』(河野剛 著)。櫨の接ぎ木方法について詳しく解説されている。[国立国会図書館デジタルコレクション

 

しかし、明治時代になると石油系のパラフィン蝋を材料とする安価な洋蝋燭が登場し、和蝋燭の需要は仏教寺院が大半を占めるようになった。そして、電気照明の普及によって生活必需品としての和蝋燭はその役割を終えることになる。

江戸時代末期に京都市内に約80軒あった和蝋燭製造業者は今は5軒を数えるのみ。原材料である櫨蝋の生産量も減少の一途を辿った。
そして、1991年に起きた雲仙普賢岳の噴火で国内有数の産地だった長崎県の櫨が壊滅状態となると、全国の和蝋燭職人が本格的な材料難に直面した。当時いくつかの製蝋業者と大手商社、和蝋燭製造業者が協力して人工的に櫨蝋をつくる試みがおこなわれた。しかし、櫨蝋の組成について不明な部分があり、類似品はできても櫨蝋を完全に再現することはできなかった。この経験によって業界は、櫨を保全することの重要性をあらためて実感した。

現在、国内の櫨の実生産量は最盛期(明治年間)の1%にも満たない。各産地で製蝋事業者が廃業し、山々には放置された櫨が静かに枯死を待っている。  和蝋燭と櫨蝋の生産は文字通り、風前の灯火なのだ。

(つづく)

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TEXT BY YUJI YONEHARA

PHOTOGRAPHS BY SHNGO YAMASAKI,KOICHI HONDA

16.11.06 SUN 00:04

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