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鏡師・山本晃久ーたとえばの1週間

INTERVIEW

暮らしと工芸
鏡師・山本晃久ーたとえばの1週間

鏡師として、工房では黙々と鏡を削って磨き続ける日々。
週末や工房の外へと出かける日には一転してアクティブに。
「自分の暮らしを後回しにするべきじゃない」という
山本さんの暮らしをちょっとのぞいてみた。

 山本晃久・やまもとあきひさ
1975年生まれ。慶応2年創業の山本合金製作所の5代目として、4代目の父・富士夫さんとともに社寺の神鏡や魔鏡の製作、復元などを手がける。山本合金製作所の工房は下京区の島原エリアに。妻と伏見区でふたり暮らし。

190129_kurashi_yamamoto_2447愛車は日産ラシーン。新車も考えていたが、ラシーンの中古車専門店をのぞいたときにその車への思いに共感して即決。

190129_kurashi_yamamoto_2128「こだわりや思いを感じるとどうしても惹かれます。自分もそういう仕事をしてるから」。

190129_kurashi_yamamoto_2258休日の朝食はできるだけ丁寧に。使っている食器は知り合いの作家ものがほとんど。岡山高大さんの茶碗、大森準平さんの皿、村田森さんのカップなど。

190129_kurashi_yamamoto_2265炒めたシシトウはよく野菜をくれる親戚からのもらいもの。なお、平日の朝ごはんはパン食中心で、昼のお弁当とともに晃久さんがつくる。

190129_kurashi_yamamoto_2237ひと休みはミル挽きの珈琲で。開化堂の筒に山本壮平さんのカップ。

190129_kurashi_yamamoto_2134自然光でどう見えるかが大事なので、作業スペースは入口ガラス戸のすぐそば。冬はフリース、ストーブが必須の寒さ。「仕事中にあまり外を見ることはありません」。

190129_kurashi_yamamoto_2210何種類ものヤスリ、セン、砥石に墨…と道具の目の粗さを少しずつ細かくしながら、鏡面を削って、磨き続け る作業が続く。

190129_kurashi_yamamoto_2287展示会の什器として使われていた丸太を持ち帰り、その上に座るのが気に入っている。

190129_kurashi_yamamoto_2230お母さんがわかりやすいようにと日付を塗りつぶしていくカレンダー。父、母、晃久さん用、それぞれのカレンダーが工房内にはいくつも。

―山本さんがどんな日々を過ごしてられるのか、たとえばこの1週間のことを昨日からさかのぼっていく形で教えてください。

山本:火曜日は、1日中、工房で仕事をしていました。9時から21時近くまで。そういう日はあまり外に出たくない。納品くらいは気分転換になっていいんですけど。といっても、いろんなものを見たほうがいいと思っているので、週末の日曜日は左京区のイベント、中京区の展示会に足を運びました。その後は職人の先輩たちとやっているテニスに。

―職人たちのテニスですか!

山本:けど、みなさん忙しくなってきたので、だんだんメンバーは変わってきました。日曜日は8人だったから、ちょっと少なかった。それから家に帰って晩御飯を食べました。

―その日曜日は奥さんとも一緒に?

山本:1日一緒でした。妻が外に出かけたいタイプなので、週末はできれば一緒に外へ出るようにしています。前日の土曜日は、伏見でバルイベントをやっていたので、そこで昼ごはんだけ食べるつもりが、蔵開きにまで顔を出してベロベロに。その後、市内の展示会や知り合いの周年記念イベントにも行きましたけど、ボロボロでした(笑)。

―平日は工房にこもることが多い分、週末はあちこち出かけているんですね。

山本:本気で忙しいときは週末もなかなか無理なので、行けるときは。この土曜日のことにしても、妻には「仕事行ってくる」って家から出ましたけど、はたから見ればただ飲んでるだけ。実際、まったく生産性がないんだけど(笑)、どこかで仕事にもつながってくることもあるので。

―どこで縁やネタがつながるかわかりませんから、大事ですよ。

山本:金曜日は鋳造日でした。いま、鋳造日は月に2~3回。鋳造は普段とまた全然違う作業でしんどくて汗だくになるけど、面白いと思います。どの工程の作業がイヤとかはなくて、全部好き。

―金曜は鋳造をやって終了ですか。

山本:いえ、鋳造の後は、岡崎へ納品に行って、それからポルトガル人のデザイナーが京都工芸繊維大学でプロジェクトの発表をするというので、そこに顔を出しました。まだ何も決まってませんけど、ちょっと一緒にプロジェクトをやりたいという話があって。

―山本さんのような鏡師は貴重な存在なので、そうしたコラボレーションのような話も多いのでは?

山本:どうかな、アーティストからはコラボレーションという言い方で話を持ちこまれることがありますけど、自分としては職人として関わるほうがやりやすい。その方が対価もはっきりしますから。ものすごく共感できる話であれば、対価うんぬんは関係なくなってきますけど、いずれにしても、職人としてどう関わるのかきちんと態度として示さなければ、ただバタバタと使われるだけになってしまうかなと思っています。

190129_kurashi_yamamoto_2348昼はお弁当でなく、近所の店で食べることも。この日は島原のカフェ・Hyggeにて。

190129_kurashi_yamamoto_2330花街に残るお茶屋だった町家を改装した店内、余白の空間が多くて気持ちがいい。

190129_kurashi_yamamoto_2360工房のある島原は、近年、街ぐるみの動きが目立つエリア。山本さんも工房を開放してワークショップを開くなどで参加。

190129_kurashi_yamamoto_2397島原の活性化を牽引するitonowaの村田敬太郎さんとは、地域のサッカー仲間としてまず出会ったそう。

190129_kurashi_yamamoto_2475山本合金製作所でのワークショップは、鋳造のときにに鋳型からこぼれた金属片を活用して、削って磨くというもの。山本さん自身も普段から身につけている。

190129_kurashi_yamamoto_2545納品先のひとつ、岡崎にある京都伝統産業ふれあい館へは自転車で。ネットを通じた販売や発送業務などを委託。

190129_kurashi_yamamoto_2544FUJI BIKEを選んだのは、「オヤジが富士夫という名前なので、買わないわけにはいかんでしょ(笑)」。いずれは京都のVIGOREがほしいという。

190129_kurashi_yamamoto_2513京都伝統産業ふれあい館では、ちょうど山本合金製作所が手がけた神鏡と魔鏡の展示中だった。

190129_kurashi_yamamoto_2539同業者はほぼいない状況だが、同世代の工芸作家たちが仲間にしてライバル。「いい作品を見ると刺激になるし、ザラッとした感じを覚える。その感覚は悪くない」。

―先ほどの続きですけど、先週の水曜、木曜日も工房作業の日でしたか。

山本:はい。でも、木曜日の夜はテニスでした。日曜日のとはまた別で、妻と一緒に小学校のグラウンドを借りて週1でテニスをやってます。

―山本さん、かなりアクティブな方なんですね。印象が変わってきました。

山本:そうですか? 僕だけが出かける機会も多いので、妻と一緒に何かやれることがあれば、できるかぎり行くようにしています。

―サッカーもされてる?

山本:それは、実は妻には内緒にしてますけどね。高校はサッカー部だったけど、その後、基本的には10年ほどやめてました。テニスと違って接触プレーがあるから。

―職人としてのリスクマネジメント。そこまで気を遣っている。けど、どうしてまた始める気持ちに?

山本:好きなことや楽しいと思うことを仕事のためにやらないというのも違うなと思いはじめて。僕は鏡師としての技術を引き継いでやっていこうとしてますけど、といってそのためだけに生きてるわけでもない。自分の暮らしをそのために後回しにするべきじゃないなって。

―工芸の世界に限らないと思いますけど、30~40代はつい忙しくなりがちです。

山本:たくさん稼ぎたいから職人になるひとってあまりいないと思うんです。収入はそこまでじゃないけど、納期さえきちんと守れば自由な時間がつくれると思って職人になった人も多いはずなのに、僕もいつしか時間に追われて自分の時間を見失っていました。

―工芸は自分自身でもう少し仕事量をコントロールできるはずだと。

山本:そうですね。僕のやっている鏡の仕事ってやっぱり特殊で、無理に手を広げても長続きする状態にはなりにくいと思っています。いまでこそ、職人がフォーカスされていろんな案件があったりしますけど、本当の需要と持続可能な規模を見極めて、丁寧にその地位を築いていくことが重要じゃないかなって。そして、それを自分のライフスタイルにも反映する必要があるなと数年前から思い始めたんです。

―工芸の中でもかなり特殊な分野であるということについてはどう思ってますか。

山本:不安はあるけど、そこは覚悟が大事。いいも悪いも工芸の状況が変わってきているのは確かで、いずれにしても仏具の世界はやっぱり難しい。技術を磨いて続けたいとは思っても、必要とされなくなればなくなるのは仕方のないことだと思います。といって、職人ひとりがちょっと動いたところで何も変わらないので。

―その覚悟の上で、日々の仕事や暮らしをきちんと過ごしたいということですね。

山本:僕も今まできちきちに詰めてやってきたんですけど、それって納品日直前に何かあったらもうアウト。
そんなリスクを毎回繰り返すのはよくないから、ある程度、余裕を持って仕事をしたいと心がけるようになりました。

190129_kurashi_yamamoto_2178代々使われてきた桶と飲みに行く途中に見つけて買ったという桶と。磨く作業の後半は水を使いながら。寒くて大変だと紹介されることもあるが、お湯だって使う。

190129_kurashi_yamamoto_2189「ほぼ単純作業の繰り返しです。冬の夜はちょっと切なくなる(笑)」。海外からの視察では、仕事がメディテーションのようだと表現されたことも。

190129_kurashi_yamamoto_2146島原の工房を使っているのは晃久さんと父だけ。母が奥で事務を担当。「集中できるのはやっぱり夜。いい状態のときは周りの音も何も聞こえない」。

190129_kurashi_yamamoto_2218特殊な仕事ゆえ道具も職人手づくりで、代々、使い続けてきた道具も数多い。工程ごとに分業していた時代もあったというが、いまは全工程をひとりで手がける方向に変えつつある。「シンプルでわかりやすいから、それでいいと思う」。

190129_kurashi_yamamoto_2231工房にある洗面はあまり使ってない。2階には神棚に神鏡を置いている。

190129_kurashi_yamamoto_2295テレビや海外メディアなど取材の機会はかなり多く、たくさんの座布団が用意されていた。

190129_kurashi_yamamoto_2415もともとモノづくりより体を動かすのが好きな性格だった。「今でも飲みこみがいい方じゃない。けど、急にわかる、開くこともあって。その瞬間は楽しいなと思います」。

山本合金製作所 >> Facebook

INTERVIEW

TEXT BY ATSUSHI TAKEUCHI

PHOTOGRAPHS BY SHOKO HARA

19.02.05 TUE 16:36

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