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鞍田崇×中村裕太×米原有二 による事前座談会

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「Things ‒ 工芸から覗く未来」に向けて
鞍田崇×中村裕太×米原有二 による事前座談会

2019年9月、京都精華大学 伝統産業イノベーションセンターによる初のシンポジウム「We ‒ 工芸から覗く未来」が行われました。目的は、工芸を起点に未来の社会像を考えること。国内外の研究者、実際に工芸にたずさわる職人など様々な立場から、エシカル消費、エコロジー、労働環境といった社会的課題について議論を行いました。
そして、本年2月、第2回となるシンポジウムをオンラインで開催します。テーマは「Things ‒工芸から覗く未来」。
このシンポジウムを前に、京都精華大学伝統産業イノベーションセンター長・米原有二さん、前回に続いて登壇する鞍田崇さん、京都精華大学芸術学部教員・中村裕太さんの3人で、今回のシンポジウムへつながるミーティングを行いました。

2019年「We ‒ 工芸から覗く未来」の様子(以下の写真すべて)。

コロナで変わった前提/コロナ禍におけるサスティナブルとは

米原:
前回のシンポジウム「We ‒ 工芸から覗く未来」は2部構成にディスカッションも行って、トータルで4時間を越す、長丁場のシンポジウムでした。第2回「Things ‒ 工芸から覗く未来」の議論 で大きくとりあげられるであろう「職人性」につながるような話から、原料、流通、販売など、 川上から川下までたくさんの話が上がってきました。あらためて鞍田さんと中村さんは、どのような感想をお持ちですか。

鞍田:
ちょうど昨日、文字になったもの改めて読み返してみました*。よくこれだけ広い話を扱ったなと思いました。事前に掲げていたトピックそれぞれについて議論ができましたし、全体として網羅的な話ができたなという印象です。全員がひとつの場所に集って全体について議論したのが前回で、各論として深めていくのが今回になるのかなと思っています。 ただ、今、新型コロナウイルスで世界中が揺さぶられている、この現状は無視できないですよね。昨年議論したときとは前提が変わってしまった。コロナによって際立った工芸の特性もあるだろうし、強みみたいなものが見えてきたこともあるかもしれない。そのあたりを見てみることも大事じゃないかと思っています。

※「We ‒ 工芸から覗く未来」:
全文公開 >> http://dento.kyoto-seika.ac.jp/report/we00/
記録動画 >> https://kougeiweek.kyoto/article/wemovie/

米原:
ありがとうございます。運営する側としては、たくさんの問題が散らばっているのは認識していました。けれど、分科会を開くほどにはイノベーションセンターもまだ成熟してない。ならば、 ということで、一気に同じテーブルにあげることになりました。ファシリテーターをお願いした鞍田さんには、本当にたいへんなことをお願いしちゃったと思っています(笑)。

鞍田さん:
ぜんぜん(笑)。ファシリテーションになってなかったかもね。

米原:
いやいや、そんなことないです。登壇者の皆さんも本来のテーマだけではなくって、そこから派生する事柄にも、たくさんの言いたいことや問題意識をお持ちでした。だから、思った以上に議論が広がっていったんですよね。結果として「無理にまとめるべきじゃないなあ」と考えて、散らばったまま、次に課題を残して終えたつもりでした。なので今回は、おっしゃっていただいた通り、各論で議論を続ける機会になればと思っています。 さて、中村さん。中村裕太さんには、前回は「未来へのバトン」と題したディスカッションパー トに登壇いただきました。

鞍田:
あれは無茶ぶりやったよなあ(笑)。まずは今日のここまでの議論をまとめてくれ、って突然言われてましたね。

中村:
はい、そうでした(笑)。

米原:
おかげで、登壇していたメンバーの誰とも違う、中村さんらしい見かたでまとめてくださっていました。中村さんは前回を振り返られて、どんな印象ですか?

当日のシンポジウムを聴講しながら書いたメモを公開して話す中村さん。

中村:
第1部はフィッシュスキンの話で、キーワードは「サスティナブルなデザイン」でしょうか。もちろん、前回の時点でも「サスティナブル」はワールドトピックだったと思いますけど、今、このコロナ禍において「継続可能」ということの捉え方が大きく変わってきているように思います。 前回の議論のなかで、アイヌの人が鮭の皮で作った靴の資料を見せていただきました。当日も話しましたが、僕はあの靴がすごく印象に残っているんです。で、このコロナ禍において「サスティナブルをどう捉えていくか」と考えたとき、かつて生み出されて今日まで残ってきたものに注 目したいと思っています。今回、テーマが「We」から「Things」になります。いわゆる「もの」についてもう一度しっかり考えていくということの大切さを、この状況のなかでひしひしと感じています。ただ単に社会、環境にいいというだけの「サスティナブル」ではなく、そのもの自体が果たしてきた役割をもう一回検証し直していくことの大切さがあると思います。

ものへの回帰、ことの終焉/土地に根ざしたものの力/ものから言葉を紡ぎ出すこと

鞍田:
気がついてなかったんだけど、今回のテーマは「Things」なんだね。

米原:
そうなんです(笑)。

鞍田:
それはどういう思いからなのかな。今、中村くんの話を聞きながら、視点がすごくおもしろいなと。「もの」に対して「こと」という言葉があって、特にここ20年くらいかな、近年の工芸のブームのなかで、ストーリー的な「こと」をどう共有していくのかってことに前のめりだった。でも、もう、みんな「こと」を消費し尽くしてしまったんじゃないかな。ある種の既視感があると思う。もちろん、いろんな積極的な取り組みがあって、それはそれで継続していくべきことだと思いますけど、当初のようなビビッドな、ワクワクするような感じではなく、ともすると、判で付いたような試みが繰り返されているような感がある。そんな中で、「もの」には、表層的な「こと」では回収できない何かがあるんじゃないか。つまり、「ものへの回帰」が起こっている気がします。「こと」さえも消費してきた僕らが、今、コロナというものを味わっているこの状況は、いわば「ことの終焉」ともいえるんじゃないかな。と思えば、「Things」をテーマにしたのはとてもタイムリーだと思う。

中村:
「ことの終焉」、おもしろいですね。そうそう、最近教えてもらった話ですが、3.11の震災によって壊れてしまった街を再開発するとき、その土地の祭りや産業が長く続いている地域ほど人が戻ってくる率が高いというんです。工芸や芸能がその地域、コミュニティを築くためのものとしても機能していたということ。このようなことは、平常時ではなく非常時にこそ感じられることなのではないでしょうか。なので今回は、土地に根差した「もの」について考えていく機会になればいいなと今は思っています。

鞍田:
中村くんが言ったことに少し付け加えるなら、被災地の事例は、「もの」が地域やコミュニティの信頼の拠りどころ、依り代になりうるんじゃないかと思う。可視的なものや触知可能なものを通して、「いろいろとしんどいこともあるけど、でも、よし、やってみよう!」というようなね。「もの」があるから、土地やら社会やらコミュニティに対する信頼みたいなものを、ギリギリ捨てずにおけるのかなっていう気がするんだよね。「もの」ってそういうものでもあるのかもしれない。

中村:
鞍田さん、この間、大阪日本民芸館での展覧会『根の力』のトーク*でもちょうどそれに近い話をされていましたよね。1912年に富本憲吉とバーナード・リーチが拓殖博覧会を観に行ったとき、ふたりが小躍りしながら作品を楽しんで見ていたっていう話と、今回の大阪日本民芸館の展示の出品作家たちが収蔵庫に入ったときに小躍りしながら「もの」を見ていたという話。やっぱり、作り手って「もの」を見ることで創造性を膨らませるんだなあ、と。今回の登壇者にも作り手が多くいらっしゃるので、「もの」から言葉を紡ぎ出していくことの重要性をものすごく感じます。

※PHASE1「大阪日本民芸館と根の力」トーク動画:
>> https://www.youtube.com/watchv=QZXRCx3zxO4

今回のラインナップについて/つくるではなく生む、生まれる/今のつくる営みを問う

米原:
ありがとうございます。僕も前回の文字起こしを読んで、やっぱり「もの」だなとあらためて感じたんですよね。「もの」に立ち返って扉を開いてみようということを考えたことが、今回の 「Things」というテーマにつながりました。で、今回のラインナップはこんな感じです。

鞍田:
へぇ~それぞれ濃密で、聞き応えがありそうだなあ。自分自身が関わるところ(2月21日「手仕事にみる『職人性』」)について言えば、さっき中村くんが言ったように「もの」の情報量や、 何かを触発する存在としての「もの」の意義をもう一度見直してみたいと思う。その一方で、残ってきたものだけじゃなくて、現在進行形で作られるものについても、「もの」をどうつくるのか、「もの」との関わり方も考えてみたい。もう一回、「もの」をよく見てみましょうというのが大事なファクターで、じゃあ、その「見られるに値するもの」をどうやって作ればいいのでしょうということかな。生態系の問題、デザインの問題、地域の関わりとかもあると思うんだけど、ここではもう少し生なところ、直接手を動かしている人たちの振る舞いとしてのつくられかたという話になっていくのかなと考えたりしています。 今、ふと思ったのが、また民藝の話になって恐縮なんだけど、民藝の連中って「つくる」ということにすごいアレルギーがある。「つくる」じゃなくて、「生む」「生まれる」っていう言葉を使うんだよね。

中村:
なるほど。

鞍田:
たとえば、河井寛次郎のすばらしいエッセイ「部落の総体」(河井寛次郎『火の誓い』所収)のなかに、農家の建物のたたずまいについてひどく感激したっていうくだりがあるんだけど、どう書いてあると思う?「どの建物も土地の上に建てたというよりは、土地の中から生えてきているようだ」って。ね、そういうところに彼らは評価を向けるわけ。たとえば、柳も「「喜左衛門井戸」を見る」(柳宗悦『茶と美』所収)のなかで「井戸というのはつくられたものではなく、生まれた器だ」と言う。濱田庄司も晩年の作品集のなかで「これからはつくるんじゃなくて、生まれるように。ろくろから離れた後もまだ動いているように見える気品が欲しい」とかいうようなことを言う。「もの」は無機質なんだけど、ある種の生命をはらんでいるのかもしれない。で、そこに人間がどう関与するか。ハチが花の受粉を助けるように、生まれる作業にちょっと手を添えるくらいが人間の「つくる営み」だったのかも。この話をそのまま今の職人さんに託すわけじゃないけど、今の彼らが「つくる営み」をどう考えているのかは聞いてみたいな。

お地蔵さん、郷土玩具、民芸玩具/遠さという要素/オンラインにおける触覚性

中村:
「つくる」じゃなくて「生む」なんだという話、すごくおもしろいですね。自分にその感覚があるかなと思いながら聞いていました。今、僕は京都で「タイルとホコラとツーリズム」*っていうプロジェクトをしています。京都市内の崇仁地区に京都市立芸術大学が移転するのですが、その地域でリサーチを1年くらい続けているんです。1950年代後半くらいから、その地域に住んでいた人は「改良住宅」と呼ばれた団地に移っていった。で、今度は京芸が移転してくることによって、周辺の団地が新しく建て替わり、そこへ人々が移っていくという流れがあるんです。そこで僕たちが何をしているかというと、地域のお地蔵さんについて調べています。地域のお地蔵さんが人の移動に伴って一緒に移っていくパターンもあれば、たとえば壬生寺などのお寺にお地蔵さんが返されて、その地域のお地蔵さんはなくなっていくパターンもある。 さっきの鞍田さんが言う「つくる」と「生む」の関係性でいえば、「生む」というのは自力的にもの作っていくのではなくて、他力的に「生まれてくる」という意味だと思うんです。地域のお地蔵さんを見ていくなかで、「つくる」「生む」という行為が何によって担保されるかを考えていると、地蔵盆を思い出しました。お地蔵さんってだいたい石でできているからどんどん劣化していきます。で、8月24日に地蔵盆があって、地域の子供たちが劣化したお地蔵さんのお顔にお化 粧をしてあげるんです。それによって、目鼻立ちがなくなってしまった単なる石のように見えていたものに顔が生まれてくる。今回のテーマ「Things」、つまり、「もの」を考えていくときに、作り手による「つくる」「生む」という関係性だけじゃなくて、その土地のことや、人との関係性があるんじゃないかと思います。僕は、今回のプログラムで郷土玩具や民芸玩具をテーマにした会(2月19日 アウト・オブ・民藝「世界の民芸玩具と玩具趣味のネットワーク」)に参加するのですが、使い手が変わっていくこと、それも一人じゃなくて複数で守っているというようなことも、おそらく「もの」の一生を考えていくうえでは、ひとつの視点になってくるんじゃないかな。

※中村裕太による「タイルとホコラとツーリズム」についてのコラム:
>> https://www.ameet.jp/column/225/

鞍田:
おもしろそうだね!

米原:
コロナの影響を大きく受けたのは、今回のプログラムでいえば、2日目の「工芸とデザイン・流通」「地域を活かす工芸」に参加される地域イベントをやっている人たちだと思います。この両 者は、コロナであり方がずいぶん変わった。実際には、この1年をなんとか乗り切ったという感 じでしょうから、この先5年10年をどうしていくのかっていうところも聞いてみたいですね。

鞍田:
そこも楽しみやんね。悠長なこと言ってられないくらい、みなさん汗流して、工夫をしたり、試行錯誤していると思うから。僕は、外野的にというわけでもないけど、「遠さ」というのがひとつキーワードなのかなと感じてた。近代って、「近さ」への推進力ってすごく大きかったと思う。たとえば、「新幹線乗ったらパッといける」とか、オンラインによる通信手段もそう。でも、コロナは、その埋められていたはずの距離が埋まっていなかったことを僕らに突きつけた。 近くなったと思っていたものが、とてつもない遠さをはらんでたっていうね。でも、裏を返せば、「すぐに行ける」「すぐに手にとれる」とすっ飛ばしてしまっていた「もの」そのものは、 もっとよそよそしいものかもしれないよね。そんなに簡単に手なづけられるものではなかった。「もの」や工芸に対して、遠さという要素をこういう機会だからこそ見直すのも大事なんじゃないかな。

米原:
シンポジウムも、本当は顔を付き合わせてやりたいと思ってたんです。でも、それはできない。そこで切り替えて考えてみると、オンラインで距離を飛び越えられるから登壇できる人もいましたし、日程の調整も容易になりました。なかば強制的ですけれども、こういうふう馴染んでいかなくちゃいけないし、コロナによって際立ってきたことを深めていくことも必要かなと思っています。

中村:
京都国立近代美術館で陶芸家の石黒宗麿の陶片を用いた展覧会(『中村裕太 ツボ_ノ_ナカ_ ハ_ナンダロナ?』)をやっているんですが、この展示では「触れる」ことを中心に据えています。でも、展示そのものができるかできないかという問題に当たってしまった。結局どうしたのかっていえば、ウェブサイト*を立ち上げて、スクロールすると陶片を触る音が聞こえる仕掛けをつくったんです。ものの触覚性を、オンラインだからこそより強調できる方法をデザイナーや学芸員さんと話し合ったんですよね。今回の「Things」でも触覚性まで持ち込めるといいですね。当然、オンラインだから「もの」には触れられないけれど、その触覚性を言葉によってとか、音によってとか、伝えられるようにしたい。どうやって伝えていけるのかみたいなことも話してみたい。

※京都国立近代美術館のサイト 石黒宗麿陶片集:
>> https://www.momak.go.jp/senses/abc/ishiguro/

米原:
今回、違う場所にいる人同士をオンラインでつないでライブ配信します。たぶん、整ったきれいな配信にはなりません。すごくいろんなことが起きると思うんです。テーマ自体が簡単なものではない分、登壇者の戸惑いや言葉に詰まるとか、そういったシーンも多くあるでしょう。結論に向かって1時間とか2時間でスーッと終わっていくようなきれいな形ではないシンポジウムになる。でも、そういった言葉に詰まるような議論そのものが、今の声を届けることになるんじゃないかなとも思っています。これは前回と同じ方針になっちゃうんですけど、きれいにまとまらな い形でも終わりたいな、と。そしてさらに来年、「工芸から覗く未来」を続けていきたいなと思っています。

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TEXT BY AKIKO KIYOTSUKA | EDIT BY ATSUSHI TAKEUCHI

PHOTOGRAPHS BY TATSUKI KATAYAMA

21.02.12 FRI 16:36

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