TOP CRAFTS NOW CULTURE 150年の時を超えて再び世界を魅了する「薩摩ボタン」

CULTURE

150年の時を超えて再び世界を魅了する「薩摩ボタン」

今日、日本の工芸は一時期の栄華を裏目に衰退の一途を辿っていると言っても過言ではない状況があります。工芸従事者の高年齢化に伴い「最後の」と呼ばれる職人さんも多く、日々、最後の技術、最後の道具、最後の材料が生まれているのが現状です。

薩摩藩(現在の鹿児島県)には、江戸末期〜明治にかけて世界を虜にした工芸品がありました。
薩摩ボタンです。

「波乗りうさぎ」30mm。卯年の室田さんはうさぎのモチーフが多く描かれている

「波乗りうさぎ」30mm。卯年の室田さんはうさぎのモチーフが多く描かれている

 

一度は途絶え、コレクターに幻とまで称されたきらびやかで繊細な技術を施した薩摩ボタンが再び世界を魅了する

薩摩ボタンは陶器で出来た直径わずか3cmほどの中に、花鳥風月など日本的な模様や柄が多く描かれ、繊細できらびやかで、ジャポニズム文化の一つとして当時の貴族や画家たちを惹きつけていました。

1867年に開催された「パリ万国博覧会」に参加した薩摩藩は、特別展示を行い薩摩焼をはじめ多くの品々を約400箱も出品しています。この万博によってジャポニスムブームは一般市民にまで一気に過熱していったようです。

薩摩焼から派生した薩摩ボタンは、ボタンという西洋の文化に和を融合させた輸出品のための商品開発であり、倒幕運動の軍資金調達の側面もあったと伝説として伝えられているそうです

明治以降も欧米コレクターにとって大変貴重なものとされましたが、生活様式の変化と、その繊細な技法ゆえに生産性も低く作る窯元も減り、作り手は途絶え、幻のボタンと称されるようになりました。

そんな薩摩ボタンを復活させ、また再び世界へと広げようとしている作家がいます。

わずか数センチの中に、いたち筆を使って繊細な線を描く室田さん

わずか数センチの中に、いたち筆を使って繊細な線を描く室田さん

 

室田志保さんは、美術工芸を学んでいた短大卒業後から「丁稚に入ってコツコツと手に職のつく仕事がしたい」と、白薩摩焼の茶道具を作る窯元で絵付けの修行をされ、ふと雑誌で見つけた薩摩ボタンに魅せられます。

当時のことを振り返り「20代の私はとにかく描き込むことが好きで、余白の美が分かりませんでした。だから小さなものに描き込める薩摩ボタンがとても魅力的だと感じたんです」と話す室田さん。

10年近い絵付けの修行を経て独立を目指すため、イタリアへの短期留学、石川県で九谷焼の人間国宝に指導を受けたのち、実家のある垂水市(たるみずし)大野原に工房を構えます。

「初めは製法や道具の資料が残っておらず、ボタンの素地を焼いてくれる窯元も中々見つからず手探りの状態で始まりましたが、3年後には、徐々に納得のいく作品が作れる環境になっていきました」

その後は「鹿児島が誇る薩摩ボタンをまず鹿児島の人に見てもらいたい」と、積極的に制作と出展活動を行い、2009年の日本ボタン大賞展審査員特別賞を皮切りにその活動は全国へと広がっていきました。また近年ではアメリカのボタンコレクターの祭典へ出展し、確実にファンを広げています。

「来年はパリ万博出展150年、その1年後には明治維新150年と、節目となるタイミングが続くので、そのためのものづくりやパリでの展覧会を計画中なんです。」と話す室田さん。その昔、西欧諸国の人々を魅了した薩摩ボタンが、今を生きる工芸として再び世界中の人々を惹きつける日が、日々近づいています。

室田 志保/薩摩ボタン絵付け師
1975年生まれ、垂水市出身。短大を卒業後、白薩摩焼窯元で絵付けの修行をはじめる。2004年に鹿児島県青年会議所の海外留学派遣事業留学生に選ばれ、イタリアのフィレンツェに短期留学。その後、垂水にアトリエ「絵付け舎 薩摩志史」を開く。2009年日本ボタン大賞展審査員特別賞(優秀賞)受賞。2015年には雑誌「Pen」の”世界に誇るべきニッポンの100人”に、今年はTOYOTA LEXUSのTAKUMIプロジェクトに鹿児島代表として選出されている。
http://satsuma.cc

鹿児島市から見た桜島。室田さんの工房薩摩志史がある垂水市大野原からは雄大な景色を望むことができる。

鹿児島市から見た桜島。室田さんの工房薩摩志史がある垂水市大野原からは雄大な景色を望むことができる。

 

CULTURE

TEXT BY SHINGO YAMASAKI

PHOTOGRAPHS BY SHINGO YAMASAKI

16.11.07 MON 23:52

- RELATED POST -関連する記事