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INTERVIEW

越境する装束製造 -京都仕立工房の挑戦

神職の制服である神祗装束もまた、製造する事業所が減り続けている分野のひとつだ。今なお営業を続けている装束店は全国で約30軒と言われており、そのうち20軒ほどが京都に集中している。コーディネイターとしての機能を持つ装束店はもちろん、仕立屋の減少も著しい。
そんな厳しい状況のなか、京都の老舗装束店四社が共同出資し、装束の仕立を専門に引き受ける「株式会社 京都仕立工房」が2016年にスタート。京都の中心地・四条烏丸にあるビルの七階で、新しい装束製造の動きが芽生えつつある。慣習やしきたりを越え歴史を繋ぐための試みを、発起人の一人である吉田装束店・吉田恒氏に聞いた。

180424_shitatekobo_01吉田
1973年生まれ、京都市出身。吉田装束店の三代目として受け継ぎ、京都仕立工房の立ち上げ「杜プロジェクト」など様々な活動に携わる。有限会社吉田装束店
昭和元年(1926年)創業の装束店。神官装束はもちろん、神殿調度品までを取り扱い、神社における様々な製作・企画を行う。

—まず、吉田さんの経歴を教えてください。

吉田:私は装束製造を家業とする吉田装束店に生まれました。吉田装束店自体は、昭和元年に私の祖父が京都・室町で創業しました。京都で独立する前、祖父は奈良の神具屋に丁稚奉公をしていたそうです。
私自身は、学校を卒業してすぐに家業を継いだというわけではなく、数年はアパレルの会社など幾つかの仕事を経験してみました。このまま別の世界で生きていくのか、それとも家業を継ぐのか、ちょうど悩んでいた26歳の頃、父が病気で急逝してしまいまして……他の仕事をしながらも、平行して家業の手伝いはしていたので、基礎的なことは教わっていましたが、結局一度も「継いで欲しい」と言われないままの他界でしたね。とにかく急なことだったので、継ぐ以外に選択肢がないような状況でした。

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私たちの暮らしには着物以上に馴染みのない神祗装束もまた、古くから続けられてきたものづくりのひとつだ。

—仕立工房を立ち上げた経緯について教えてください。

吉田:そういった状況の中で、実際に仕事を進めていくと周りに本当に年配の方ばかりだと改めて気付きました。昔から縫製や仕立を依頼している外注先の工房を訪ねると、本当に孫が来たような感じで・・(笑)
それが大体二十年ぐらい前なんですが、その当時はみなさんお元気で、仕事も精力的にこなされていて、仕立屋さんも今に比べるとたくさんありました。全体的な生産量も多かったと思います。なので、入った当初はそれほど業界全体の将来に対する危機感みたいなものもあまり抱いてなかったですね。

ただ、やはり徐々に「この工房はいつまで続くのだろう」と思い始めてきた頃、同業である装束店の仲間たちと業界の今後についての危機感を共有しはじめました。とにかく仕立屋さんが減ってきている実感を抱えながら、それぞれに不安がある中で具体的な次の一手を見つけられずにいました。装束店も世代交代が進み、今後の対策について本気で現実的に考えてみよう、と吉田装束店・井筒装束店・高田装束店・斎藤専商店の四社で集まったのが2014年ぐらいでした。

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神事の格によって着る装束は決定される。正装の装束では、使う素材・縫製の方法・形まで全て厳格に決められているため、どの装束店へ発注しても必ず同じものが納品されなければならない。*画像提供:株式会社 京都仕立工房

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参拝者祈祷での儀式(諸祭・雑祭)にて着られる狩衣は、形こそ決まっているものの色や柄は自由。厳格なしきたりを持つ装束のなかでも、神社や装束店のカラーが最も分かりやすく出せる装束とも言える。*画像提供:株式会社 京都仕立工房

吉田:とにかく一番の懸念である、仕立屋さんの減少をどのように食い止めるか、というところからスタートしました。他の多くの伝統産業と同じように完全な家内制手工業なので、外から新しい人が入ってきづらい状況でした。生活の場と製造する場が同じであるなど、仕事を覚える以前に慣れなければならない事柄がとにかく多い。若い人が入ろうとしても、なかなか続けづらいですよね。とにかく受け入れ側の環境が全く時代に合致せず整備されていないことに気づいたんです。

なので、経済的な部分と補償や環境面をどのように改善するかをまず考えてみました。働きやすい場所を整えないと、この時代に誰も来ないのは目に見えています。だからこそ、アクセスの良い立地と、若い人が来やすいような明るい製作環境を最初に決めました。実際、二年連続で大学を卒業してすぐの女性が来てくれて、今も継続して働いてくれています。

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京都でも中心地にあるビルの七階に構えた京都仕立工房。”神祗装束”という言葉からは想像できない近代的な製作環境だ。

—雇用された経緯は?

吉田:大阪の大学で建築やデザインの准教授をしている友人がおり、その大学には服飾科があったので学生の中に心当たりがないか問い合わせました。その中で今も続けてくれている梶岡さんが興味を示してくれて、さっき話したような「京都仕立工房」の立ち上げの経緯から説明し、私たちはとにかく若い人が来て欲しいということを伝えました。「縫製はできますが、装束については全く知らないけれど大丈夫でしょうか?」と聞かれたので、「むしろ私たちは全く業界について知らない人を求めています。」と答えました。それは技術の伝達がスムーズというだけでなく、彼女が大学で培った服飾の技術や知恵など逆に教えてもらえるようなことがあるのではないかと思ったんです。

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明治から戦後の混乱期の影響もあり、神祗装束にまつわる歴史的な資料は意外なほど少ないそう。

実際に製造するにあたって、どのような影響がありましたか?

吉田:これまで装束製造には、普通の洋装と違いパターン(型紙)という発想がありませんでした。しかしながら、作る内容や量によってはパターンを引く方がスムーズなケースがあることも、梶岡さんたちが来てくれてから分かりはじめています。実際に、すでに幾つかの仕事ではパターンを導入しています。新しい技術を持った人が来てくれると作れるものの幅が広がる、そんな当然のことも現在進行形で体感しています。

また、昔から付き合いのある仕立屋さんなど大ベテランの職人さん方も、思った以上に気にかけて訪れてくれます。難易度の高い装束の作り方を教えてもらったり、普通に世間話をしたり、その時々で世代を越えた交流が生まれ始めています。「若い人たちがこの業界に入ってきてくれて、自分たちの技術を伝えられるのが嬉しい」と先輩たちに言ってもらえると、そういう場を作れたことがとにかく一番良かったのかなと感じたりしますね。歴史や伝統はもちろん大切ですが、やはり仕事は楽しくないと続きません。いろんな世代や状況の人たちが集まってものづくりを受け継いでいく、その方法のひとつになれればいいなと思っています。

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それぞれに意味を持った文様である”有職紋様”は、装束の見所の一つ。日本だけでなく大陸を超え中国・イスラム圏・ヨーロッパにまで似た紋様があるそうだ。

吉田:ただ、本当にこのやり方が正しいのか、間違っているのか、それはまだ誰も知りません。「京都仕立工房」の立ち上げは、他の業界からすれば些細な革新かもしれませんが、装束製造という業界はそういう変化さえ経験してこなかった。だからこそ、ある程度時間が経って初めて、自分たちにも真価が分かってくるのではないかと思っています。そもそも、自分たちの中で最も重要だと共有していたのは、「とにかく動いてみよう」ということだったので、もし失敗をしたとしても、「失敗」という経験を積めることにさえ革新があります。

依頼してくれている方々との関係も含めて、神祗装束はとても長い時間を越えてきたものづくりなんです。その中で、自分たちのひと世代が起こせる変化は、本当に些細な微々たるものかもしれません。でも、その些細な変化さえ、これまでは必要がなかったし実現できなかった。だから、この自分たちの挑戦が、次の世代の挑戦や選択肢に繋がっていけばいいなと思っています。

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大学で服飾を専攻していた梶岡さん(右)に、生地の裁断を指導する吉田さん(左)。彼女は京都仕立工房の立ち上げとともに働きはじめた。

INTERVIEW

TEXT BY TAKUMI NOGUCHI

PHOTOGRAPHS BY MASUHIRO MACHIDA

18.04.24 TUE 19:40

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