TOP CRAFTS NOW INTERVIEW 典雅なる王朝の食文化を探求。「六盛」3代目当主・堀場弘之インタビュー

INTERVIEW

典雅なる王朝の食文化を探求。「六盛」3代目当主・堀場弘之インタビュー

京都・岡崎にある『京料理 六盛』。明治32(1899)年に創業し、現在3代目当主の堀場弘之さんが初代からの味を守っている。京料理の旬な食材を色とりどり盛り込んだ「手をけ弁当」(木工芸の重要無形文化財の保持者・2代目中川清司氏の桶でいただける!!)でよく知られているが、もう一つ、知る人ぞ知る名物が「創作平安王朝料理」である。堀場弘之さんが古典を研究しながら生み出し、今や生涯をかけて取り組むライフワークとなった「王朝料理」。その出会いから、現在の形に至るまでの道程を伺ったインタビューを、コース料理の華やかな写真とともにお送りします!

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堀場弘之/京料理 六盛 3代目主人
昭和22(1947)年生まれ。大学卒業後、東京築地の某料亭にて修業、24歳の時家業に入り、先代のもとで技を磨く。平成6(1994)年の「平安建都一二〇〇年祭」を機に「創作平安王朝料理」を始めた。

京料理 六盛
初代は仕出し屋からスタートし、明治32年に『京料理 六盛』として創業。初代からずっと守り続けているのは「一店舗主義」ということ。主人の目が隅々まで行き届く範囲でのみ、料理を提供している。「料理は人がする仕事であり、それゆえに、厳しい目で常に見守らなければいけない。そうして主人が納得できる味だけを提供する」というのが、代々が貫く姿勢。

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お店は平安神宮西横、疏水北側の風光明媚な土地にある。

―「創作平安王朝料理」に取り組もうというきっかけは何だったのでしょうか。

  ある時、お客様から「京料理って何?」と尋ねられたことがあったんです。いろいろと自分なりに調べてみたんですが、これ!というものが見つからなくて…。京料理の成り立ちには諸説あって、禅と共にもたらされた精進料理、茶の湯の懐石料理、そして武家の食事としての本膳料理などが融合したものとも言われていますが、私自身は京料理のルーツは、平安王朝時代にあるのではないかと考えたんです。古い資料や文献などを調べてみたのですが、古画などがわずかに残るだけで、実際、実物がどんなものか具体的なイメージができなかったんですね。お客様の素朴な質問にちゃんと答えられないのは、料理に携わる者としてどうかなあと思いまして、一念発起して、一度これは自分なりに答えを探してみようと思ったんです。

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平安時代の様子を再現した、仄暗い部屋に案内される。

―王朝の人々はどんな料理を食べていたのでしょう?

まずは全容を知らないといけないので、国会図書館まで行って平安時代の食に関する専門の資料をあれこれ探したり、専門の研究家の方に教えを請いました。一人は伝承料理や食文化の研究家である奥村 彪生(おくむら あやお)先生です。奥村先生は「それ、面白いやないですか」と非常に興味を持っていただきました。もう一人は、京都の風俗博物館館長、井筒 與兵衛(いづつ よへい)先生です。風俗博物館は「風俗を通して平安の世界を感じる」をコンセプトにした博物館で、井筒先生には、食器やしつらいなど、当時の食習全般についていろいろ教えていただきました。

貴族の正餐については「年中行事絵巻」などに書かれているのですが、実は奥村先生に一度、当時の献立をできるだけ忠実に再現していただいたことがあるのです。とても興味深いものでしたが、味としてはあまり美味しく感じられませんでした。当時は、調味という概念はなかったようで、焼く、煮る、蒸すなどシンプルな調理法しかなく、厨房で味つけをするということはありませんでした。藤原忠実が東三条邸で催した大饗の記録が「類聚雑要集」という文献に残されていますが、これを見ると、台盤と呼ばれる小さな机の上に、魚介鳥獣類の料理が多彩に並び、これを各自が手前に配された「四種器」(よぐさもの)という4種の調味料で、好みで味つけしていたようです。

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一進「祝菜(ほがいな)」
健康と長寿を願って名付けられた前菜。台盤の上に最初にしつらえられている。中央に円筒状に高く盛り付けられているのが「飯(いい)」(ご飯)で、御物(おもの)と呼ばれている。相当の量があるが、食べ残しても良いしきたりになっている。そのまわりに配されているのが、「おまわり」で、御物に合わせて食することから「合わせ」ともいわれている。数が多いほど良いとされ、「かずもの」から「おかず」という言葉が生まれたという。

「おまわり」は4種の調味料を好みで使って食す。中央の白米とともにいただくが、どれもお酒にもよく合う品のある味わいに仕立てている。「おまわり」は、下中央から時計回りに、「蘇(そ)」牛乳を煮詰めた古代のチーズ。「醢(ししびしお)」塩辛の一種。写真はこのわた。「焼蛸(やきたこ)」。「脯宍(ほじし)」なますの原型。写真は猪肉の生姜炊き。「腊魚(ほしいお)」干し魚。写真は干した鱚の塩焼き。「脯鳥(ほしどり)」塩漬けして天日干しにした鳥肉。写真は雉肉の焼き物。「蒸鮑(むしあわび)」。「楚割(すわやり)」魚の割干し。写真は鰹の燻製。

―4種の調味料とは具体的にどんなものなのですか?

 「酢、酒、塩、醤(ひしお)」で、醤は醤油の原型のようなものですね。素材となる魚介や鶏肉などの食材は、保存のために塩漬けや乾燥されているものが多かったようです。

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二進「羹(あつもの)」(左)
当時はあらかじめ料理を作っておき、食膳に並べておいたので、すべて冷めていたが、唯一、熱いのが汁物で、羹と呼ばれるようになった。写真は、秋鱧と松茸の椀。旬を感じさせる香り豊かな一品。

三進「割鮮(かっせん)」(右)
刺身のこと。海から遠い京の都では生の魚を食するのは最高の贅沢だった。
写真は、鯛と烏賊のお造りで、古式にのっとって、錫の器に立て盛りにされている。

―当時の文献には他にどんなものが描かれていたのですか?

台盤の上には、飯、汁物、窪坏物(くぼつきもの)、貝類、生物(なまもの)、干物、菜物などが並べられていました。古い画を見ると、盛り付けなどは非常に華やかなのですが、当時の料理は「食べる」というより、「愛でる」要素が強かったようですね。

井筒先生にもいろいろお話を伺ってわかったのですが、平安時代の貴族にとって、「食べる」ということは非常にプライベートなことであり、今のようにグルメの目線で食を語るなどというのは、あまり行儀が良いことではなかったようです。人様の前で食事をすることさえ、良しとしなかったようですね。ですから食事に関する文献や描写なども積極的に残さなかったのでしょう。

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四進「炙(あぶりもの)」(左上)
今でいう焼き物。平安時代の調理法は素焼きがほとんどで、味噌をつけたり蒲焼にするなど“調理”をするようになったのは室町時代以降といわれている。写真は、甘鯛の塩焼き。鱗ごとこんがり焼いて、石を温めて、宝楽焼に乗せて供している。

五進「調菜(ちょうさい)」(右上)
主に野菜や乾物を使った料理。室町時代以降に煮物や和え物が作られるようになったが、堀場さんの創作アイデアで加えた一品。写真は、松茸と水菜のおひたし。

六進「挙物(あげもの)」(左下)
平安時代の揚げ物は「唐菓子」と呼ばれた揚げ菓子だけで、揚げ物が登場するのは室町時代以降のこと。こちらも堀場さんの創作で加えたもの。写真は、サザエとしめじ、三つ葉のかき揚げ。

七進「窪坏物(くぼつきもの)」(右下)
乾物や乾物などを戻したり、生物の場合は細かく切って酢で洗う程度で供されていた。酢の物に相当する。写真は水前寺海苔。

―王朝料理の研究から「創作平安王朝料理」へと、どのように発展していったのでしょうか。

平成6(1994)年の「平安建都一二〇〇年祭」に際して、なにか新しいものをお出しできないかなということをちょうど考えていたこともあり、平安王朝料理をお客様にご提供したいと思い立ちました。平安王朝料理の研究を初めて5年、試行錯誤して、ようやく店でお出しできるかたちに仕上げました。

苦労したのは、できるだけ当時の決まりごとに添いたいと思っていたのですが、たとえば乾物や干物を素材にして、調味もシンプルで、どこまで満足のいく料理に仕上げられるかという点でした。せっかく、京都までお食事に来られるのですから、やはり京都らしく、見た目の美しさやバリエーションのある味わいをご提供したいのは当然です。

単に当時の味を再現するのではなく、ベースは平安時代の饗応料理からヒントを得て、さらに私のオリジナルアイデアを加えて、出汁もしっかり引いて、味つけも工夫して、現代の方にも美味しくいただける献立にしています。それがこの「創作平安王朝料理」です。

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八進「姫飯(ひめいい)」(左)
おめでたい赤い色が好まれる赤米。写真は、赤米に蒸した甘鯛をのせて、大根ぬか漬けを添えている。

九進「木菓子(きがし)」(右上)
平安時代の菓子といえば果物を指し、栗、橘、杏、桃、柿などを供した。写真は梨。

十進「唐菓子(からがし)」(右下)
別名「唐果物(からくだもの)」とも呼ばれた揚げ菓子。もち米の粉や小麦粉、大豆、小豆などを素材に、砂糖の代わりだった甘葛汁(あまずら)、水あめなどを加えて練って油で揚げていた。異国風の意匠が好まれていたという。写真は小麦粉とはちみつを練って揚げている。

―当時の様子を再現しているところを具体的に教えてください。

当時の饗応料理では、料理は高く盛る「高盛」が基本でした。日本料理にも受け継がれている立体的な「立て盛」の原型といってもいいでしょう。箸は「かい」と呼び、箸や匙は銀でつくられていました。また、食器は、漆器や素焼の器、銀器、真鍮などを使っていたようで「一器一種」といって、複数を盛り合わせず、一つの器に一種の料理を盛るのが決まりでした。宮中には女房たちが料理をのせる台盤を大切に管理していた「台盤所」という場所があり、それが「台所」の語源と言われています。また座布団ではなく、畳を用いた茵(しとね)と言われる敷物を敷いて食事の座としていました。店でお出しする際に、当時の決まりごとを可能な範囲で再現しようと思い、銀の箸と匙、台盤、茵を特注でつくりました。

また、「創作平安王朝料理」をご予約いただいたお客様は、明かりを消して行灯がともる部屋にご案内します。几帳や床の間の檜扇、香をほのかに薫らせた空間は、仄暗く、まさに「陰翳礼讃」の世界。最初に食前酒の「薬酒(くすざけ)」をお注ぎし、乾杯をしていただいて、その後、明かりをつけて、ゆっくりとお食事を楽しんでいただきます。ここから王朝のひとときが始まっていきます。

 ―最後に、これからどんなことにチャレンジされたいと考えていますか?

王朝料理の研究は、私にとってはライフワークといってもいいでしょう。現在は、これで一つの完成形になっていますが、今後、研究をもっと進めていけば新しい展開ももちろん考えられると思います。京都で料理をする者として、京料理の源流となる王朝の食文化を自分なりに再現していますので、たくさんの方にご賞味いただきたいですね。そして料理一つひとつから、王朝の世界の一端に触れていただければと思います。「創作平安王朝料理」が、六盛の新たな名物になっていけばとても嬉しいです。

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創作平安王朝料理
12,960円(税込・サ別) 。2名〜12名までの限定。1週間前までに要予約。

京料理 六盛
住所:京都市左京区岡崎西天王町71
営業時間:平日 11:30 〜 14:00 / 16:00 〜 21:00 ( ラストオーダー / 20:00 )、土・日・祝 11:30 〜 21:00 ( ラストオーダー / 20:00 )
定休日:月曜日(祝日の場合は振替)
Tel:075-751-6171
URL:www.rokusei.co.jp

INTERVIEW

TEXT BY MAE KOORI

PHOTOGRAPHS BY YOUSUKE TANAKA

17.11.20 MON 15:37

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