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町田益宏写真展『継ぐもの -In between crafts-』レポート 継ぐ者たちは“行動している者”たちでもある。

京都を拠点に、商業写真の世界で活躍してきた町田益宏さん。その初個展となる『継ぐもの -In between crafts-』が、「京都伝統産業ミュージアム」で開幕した。 京都にある6つの工房を訪ね、職人とその家族、工房風景を撮影した本展。京都の芸術文化や観光情報を発信してきた編集者の光川貴浩さんによるレポートでお届けする。

 

町田益宏という写真家について

 

町田さんの「家族写真を撮りたい」という言葉に端を発した本展。京都に拠点をおく6つの工房を訪ね、そこで働く職人たちの家族の姿に迫っている。

ある時、知人から「町田さんはどういう写真家ですか?」と尋ねられ、こう答えた記憶がある。「とにかく誠実に、色気のある絵を捏造するような写真家です」と。“捏造”というのは褒め言葉として用いた。これだけデジタルカメラの技術が躍進した時代においても、目を見張るような圧倒的な「絵を創る力」を感じていたからだ。

そして、もう一点付け加えたのが、いま京都のクリエイターに最も頼られる商業カメラマンの一人であるということ。本展開催の前日に行われたレセプションの風景がそれを物語っていた。 会場を埋めた参加者の多くは、京都を代表する若手クリエイターの面々。伝統工芸の写真展というより新進気鋭のデザイン事務所の開業パーティー、といったほうがしっくりくる。表現にシビアな彼らの耳目を集めてきたのは、町田さんが商業写真の世界においても自身の表現を貫いてきたからこそだろう。

 

以前、あるお仕事で町田さんとご一緒した際、たった1つのモノの撮影に「4時間かかる」という見積もりがきて心底驚いた。あきらかに撮影時間が長い。無論、あがってきたカットには問答無用の色気があった。 どのように撮影しているのかと聞くと「この影が気持ちいいでしょ」と笑顔で一言。感覚言語で返ってくるあたり、口(言葉)じゃなく、目(ビジュアル)に高解像度の情報を宿している、本物の写真家だという印象を受けた。

そんな町田さんが「工芸」を対象に、自身の作品として挑んだ本展。まさに「所を得る」とは、このことだと思った。 撮影スタイルに象徴される町田さんの時間感覚や丁寧さは、工芸の職人がもつそれと似ている。彼らは、永い年月の果てに得られる自然素材を、さらに時間をかけて手作業によって仕立てていく。それを実現しているのは、長期戦に耐えるおおらかさと、たゆまぬ熱意ではないだろうか。粘り強くファインダーを構える町田さんには、ぴったりな被写体だと思った。

 

6つの工房と職人たちの日常

 

前置きが長くなってしまったが、被写体となったのは、小嶋商店(京提灯)、紫紘株式会社(西陣織)、堤浅吉漆店(漆精製)、南條工房(佐波理製鳴物神仏具)、牧神祭具店(神具指物)、山本合金製作所(和鏡)という6つの工房。 職種はまちまちだが、本展のキュレーターである山崎伸吾さんいわく「30・40代の担い手がいること」「本職以外のチャレンジをしていること」という点で、共通しているという。本展のタイトルのいち解釈である、“継ぐ者”である。

言わずもがなだが、伝統工芸産業は需要の減少や後継者不足など深刻な問題を抱えている。上に挙げた工房も例外ではない。しかし彼らは、独自のプロダクトを製作したり、新たな販路を開拓したりするなど、工芸が抱える問題を静観してはいない。継ぐ者たちは“行動している者”たちでもある。

彼らの中には一流ブランドとコラボレーションし、たびたびメディアに登場している人もいる。世間一般の目でみると、どこか厳かで崇高なもののように感じるが、ひとたび工房に足を運べば、そんな先入観は軽くいなされる。 担い手は基本的に家族に限られ、職人の技術は何十年、何百年、変わってはいない。工房は家庭の居間のごとく散らかっていることもあるし、使用する道具の数々は現代とは思えないほど野生的でアナログだ。

町田さんは、そんな工房のリアルに光を当て、以下の4つのアプローチから展示作品に落とし込んでいる。 職人の家族写真、工房の日常風景写真、マテリアル写真(職人の道具やプロダクトなど)、そして超拡大写真(オブジェ)。

 

美化しようもない工房の一片に

 

さて、肝心の展覧会であるが、会場の入口を抜けると、まず「工房の日常風景」が出迎えてくれる。カラー写真で出力されたそれぞれの工房は、部外者ではまず見ることのできない「ありのままの日常」を切り取っている。

神仏具の鋳造や漆の精製をはじめ職人然とした仕事風景は、ただただ美しい。一方で、工房の片隅に乱雑に散らかった段ボールや、捨てるのを怠ったオロナミンCの空き瓶の束など、決してただ美しいとは言えないカットが妙に気になった。
後者は、一般的な私たちの職場となんら変わらない労働がもたらすフラストレーションの一側面である。職人仕事は一定の規則性をもった作業プロセスを繰り返し、繰り返し行う。途方もない作業のように思えるが、避けては通れない。
手仕事ゆえに美化されてきた側面があるが、美化しようもない工房の一片にこそ職人仕事の本質的な日常の奮闘が垣間見れ、工芸を継ぐ者たちの強さが浮かび上がっているように感じた。

 

「家族写真」と「マテリアル写真」については、あえてモノクロ写真にすることで、本展の根底にある「時間」という概念に向き合っている。何十年、何百年というサイクルを生きていく工芸品と、それを取り扱う職人たち。

たとえば、山本合金製作所の山本晃久さんは、江戸時代に製作された和鏡の修復を請け負うこともあるという。あるいは、何代も先の子孫が自身の作った鏡を受け継いで修復する可能性もある。モノクロ写真という手法を用いることで、こうした工芸のロングレンジな価値とそのサイクルを、文字通り色褪せることなく提示している。

 

「家族写真」は私たちが七五三や成人式の時に撮影する、いわゆる家族の“ハレの日”の記念写真のようだが、独特の違和感を放っている。その源泉をたどると、職と住が分離した現代人にとって「労働」と「家族」というすでに距離をおいたもの同士が共存している点にあると感じた。職場を舞台に立つ家族、そこには公私の入り混じった「いつもの生活」を表に引きずり出されたような、家族間の「こそばゆい感覚」が伝わってく る。

また、中判カメラの高解像写真が映し出す工房や作業着、そして職人たちの面持ちには、ハレの家族写真では映らない“ケ”の部分がたっぷり写り込んでいる。 当たり前に考えてみたい。自分の父親が、そのまま上司になる毎日を。自分の部下が兄弟になる日常を。「それはシアワセなことなのか、まるでわからない」と、町田さんの写真は問うてくるようだった。

 

「マテリアル写真」は、会場の最奥部に設置されている。西陣織に欠かせない道具である「杼(ひ)」や、神祭具の指物を削り出す「鉋(かんな)」など、職人たちの道具やプロダクトの一部を真正面から撮影した、いわゆる「ブツ撮り」の写真群だ。 この展示空間は、突然、別世界になる。漆黒の宇宙空間のような無の世界に、道具や工芸品だけが漂っているような印象を与える。光と陰に神経を行き届かしたようなブツ撮り写真は、町田さんの真骨頂。まるで真空の世界で撮影したのではないかと感じるほどに、モノのディテールが超絶リアルに浮かび上がっている。

額の真正面に立って鑑賞すると、思わずそのモノを手に取ってみたくなるような衝動に駆られる。「手の先で、まだつながっているような感覚を残したかった」という町田さんの言葉通り、自然素材の温かみのようなものが、視覚をすり抜けて指先の触感に伝わるような感覚を覚えた。マテリアルに当たった心地のいい光が、そのモノの素材感を丁寧に表現しているからだろう。

 

そして最後に、モノリスのような立方体のオブジェとして展示された「超拡大写真」。これは、よほど勘の冴えた人でないと、何を写したかわからないだろう。仏具や和鏡を鋳造した際に吹き出す高熱の火花や、精製途中に漆の樹液がマーブル模様になった様子を極端に引き伸ばしている。
拡大写真が伝える一瞬の美は、モノを作っている職人しか見ていない景色でもある。私たちは、読んで字のごとく“エンドユーザー”であり、彼らが生み出すプロダクトの「終わり」しか見ていない。その過程にある苦悩はもちろん、職人のみが知る“うまみ”の部分も純粋に理解していない。

彩度高く発色した火花は、いまにも噴火しそうなマグマのたぎる火山口を覗き見した気分になる。深いツヤと濃淡を有した漆の樹液は、これが無生物の工業品ではなく、生物由来のものであることを雄弁に物語る。いずれも生命の蠢きがあり、トリミングし拡大することで、その瑞々しい美しさに気づくことができる。

 

自然の営みを生活用具に転換させた、かつての職人たちとそれを継ぐ者。町田さんとそれを支えるキュレーター陣は、複眼的な写真手法と展示によって、淡々と過ぎる工房の日常に高貴なものがあることを切り取って見せたように思う。

 

レッドリストか、次のスタンダードか

 

不遜な言い方かもしれないが、この展覧会は、絶滅のおそれのあるレッドリストとも言えるだろう。
上述した「杼(ひ)」を製造している職人は日本で唯一になった。和鏡のいち技術である魔鏡制作に至っては一度途絶えたものを復活させている。こうした状況を踏まえると、工芸を継ぐ彼らが額装の向こう側にいて、展示対象となることは自然なことのようにも思える。

一方で、工芸という(かつて)私たちの生活を真正面から支えてきた道具たちと、それらを産み出す職人たちを、日常の中から「触れることのできない場」へと追いやってしまった感は否めない。あるいは、彼らが相手にする時間感覚に、現代の私たちが耐えられなくなっているようにも思えた。

本展が投げかけるものは何か。時間にさらされたものへ感じる、単なるフェティッシュな愛着なのか。それとも、工芸というものに、より確かな日常の道具としての存在感を得るための足がかりか。 時間というものに超然とした態度を見せる道具たちと、それを継ぎ、行動する家族。この展覧会は、次の時代のスタンダードを提示しているのか。町田さんのファインダーを通して考えるきっかけになればと思う。

実際に6工房で使われている道具やプロダクトなども京都伝統産業ミュージアム 常設展示室で展示されている。

町田益宏写真展「継ぐもの -In between crafts-」
会期:2020年8月22日(土)~10月18日(日)
場所:京都伝統産業ミュージアム 企画展示室
入場料:500円(高校生以下無料)
https://kmtc.jp/special/2020/06/16/4129/

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TEXT BY TAKAHIRO MITSUKAWA

PHOTOGRAPHS BY MASUHIRO MACHIDA

20.09.28 MON 18:40

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